アニメ実況文化と私
- たふ ぐす
- 4月16日
- 読了時間: 2分
子供のころのとき、私は実況というネット文化が嫌いだった。
ゲーム実況、スポーツ実況、アニメ実況……。
見るもの全てにマジになり、感想全てにマジレスを求めていた子供の私は、実況でよくある茶化しやイジリを許容出来なかった。
しかし同時に、茶化しやイジリを許容できない自分も嫌いだった。 皆がこんなに楽しんでる文化を楽しめない自分は、意固地でつまらない存在だ。
ニコニコのコメントにムカつきながら、ムカついた自分に落ち込むような、アンビバレントな生活を送っていた。
今、私は割と実況文化を浴びて生活している。
ゲーム実況動画を作業用BGMとして流し聞き、仕事が終われば終わったで違うゲーム実況動画を見たり、Xのリストを開いてアニメ実況をチェックしたり。
端的に言えば、子供の頃より鈍感になったのだ。
好きな作品が少しくらい茶化されても平気になった。イジリも楽しめるようになった。
まあ、自分の参加した作品はまた思い入れが違うのか、茶化しやイジリがまだ少し効いてしまうが……それでも憤慨するほどでは、ない。
こうして実況文化を浴びて生活してみると、作品を横断して言及することの楽しさもまた見えてくる。
アニメ実況ではクール内に作品を越えて偶然同じモチーフが出てくることを「○○(モチーフ名)の絆」と呼んだりする。(例えばドラえもんとクレヨンしんちゃんでメントスコーラが同時期に出てきたときは「メントスコーラの絆」と呼ぶ)
これはクール内で相当数アニメを見ていないと見出だせない楽しみ方ではあるが、滅多に被らないだろうというモチーフが意外と被ったりして、偶然の面白さと同時代性を感じさせる。
そんな風に多少条件反射のようなノリがある一方で、作品のテーマをゲーム文化に絡めて鋭く分析しているアニメ実況民がいたりと、実況文化のノリの奥深さもまた知った。
いま、子供の頃より鈍感になり実況文化を楽しめるようになった私だが、子供の頃の私がつまらない人間だったかと言われると、そうではないと思う。
あの日、あの時でしか持ちえない熱が確かにあったし、その熱の高まりゆえに実況文化とは相容れなかった。それは得難いことだったと思うのだ。
人生の中で何かに熱を持つことは本当に貴重で、良い経験だ。出会おうと思って出会える経験ではないからだ。
それと同時に、いま実況を楽しめるようになった自分も誇らしいと思う。楽しめることは多いに越したことはない。
実況文化とは複雑な関係だった私だが、それゆえに楽しめる今が新鮮で面白いです。
