どうやら近所のTLに推しの子にドはまりしてる人がいるらしく、推しの子の話がよく流れてくる。
俺は推しの子まだ見てないし読んでないんだけど(来年あたり読むと思う)、めちゃくちゃ色んな意見出てくるし他の作品じゃあんまり見ない切り口なので、流れてくる話を楽しく見てる。
その中に、推しの子に限らず赤坂アカ作品ってキャラの多面性を意識して押し出してる、みたいな感想が書かれてた。
でもキャラぶれだと取られるデメリットもあると。
キャラの多面性かぁ。
現実の人間ってコンディション自体で意見がコロコロ変わるんだけど、実感としてはただの体調で自分の考えが変わるなんて感じられないし信じられないよね。
少なくとも俺はそう。
大人になってから自分を見つめる機会が増えて、初めて寒い日とか暑い日で自分の気分が変わってるってことに気づいた。
気づいた後も、まだ実感がない。意識してないと忘れてしまう。(自己同一性にもバイアスってあるのかな。
どんなときも自分は一定の意見を持つはずだ、という……。)
いわんや二次元キャラをや、だ。
どんなに共感性が高いキャラでも、「あ~、コンディションが悪い時だから意見が反転しちゃってるよ~」という視点って、瞬時にはでないな。後々考えて、ようやく原因に上がりそう。
だから初読時には「コイツ前と意見がちゃうやんけ!キャラぶれだ!」という印象になるわけだ。
そして第一印象は簡単には覆らない……。
コンディションって現実世界だとシークレットステータスだけど、創作世界だとコンディションを可視化しないといけないんだな。しかもかなり分かりやすくしないといけない。
多面性のあるキャラといえばトモアキ作品が思い浮かぶ。(というか俺の世界の構成は6割トモアキ作品だから、他の作品を見ると大体トモアキ作品に接続される。俺の言うことを信用するな)
トモアキ作品、キャラぶれが伏線というかトリガーとなって物語構造が変わるから、世界ごと変わるんだよな。
構成にキャラぶれが組み込まれてると理由づけを可視化せざるを得ないし、クソほど分かりやすいから180度意見が変わっても多面性として受け入れられるんだよな。本当にそうか?
いや、俺はそう思ったけど……。
トモアキ作品、キャラぶれする時一人称から変わるので徹底してるよね。性癖なのかな。
うーん、明確に疲れてるときの文章だな。散漫すぎる。
そもそも疲れた時ぐらいしか長文書きたくならないのでこのブログにある文章の9割が疲れた時の文章なのだが……。
皆さん、これが俺のコンディションが悪い時の思考です。よろしくお願いします。
うお~眠てぇ~。